香川君の第6回目のコラムが掲載されました。
本に関わる仕事をしていると、何かと気を使うのが「著作権」です。
絵や文章を作ったり、写真を撮影したりすると、その時点で著作権が発生します。その作品を個人的にコピーすることなどはもんだいありませんが、印刷物などに勝手に使ってはいけないわけです。絵や文章の場合は、まねたものも著作権侵害となります。そこが難しい所で、どこまでを「まね」とするかは明確にできません。
僕は他人の著作権を侵害しないように気を付けていますが、これがなかなか面倒です。例えば歴史考証イラストの仕事で松山城の絵を描くとすれば、まず本やパンフレットなどチエックし、松山城の復元イラストなどが載っていないかどうか探さなければなリません。もしあれば、それと違う角度から描かないと、まねて描いたと疑われる可能性があるからです。
歴史考証イラストは正確に描くのが基本ですし、城の場合、見栄えのよい方向もおのずと限られます。他人の絵を知らなければ、似たもの描いてしまう確率はかなり高いのです。
もうずいぶん前のことですが、僕が描いた城の絵が、他のイラストレーターの絵をまねたのではないかと疑われたことがありました。その人が同じ城を描いた絵が既に本に載っていたことに気付かず、似た角度から描いてしまったのです。作画資料などを相手に提示して疑いを晴らすことはできましたが、嫌な思いをしました。
確かに多くの出版物の中には、他人の作品を写したような絵や文章もありますし、インターネット上には、著作物の無断コピーも多々あります。明らかな著作権侵害が許せないことは言うまでもありません。しかし、似ている程度の作品にあまり神経をとがらせるのはどうかと思います。
近年では、出版社やウェブサイトの管理者が著作権使者の防止に気を付け過ぎることもあるようです。最近ある人が、インターネット上の事典に僕のことを紹介する記事を書いてくれたのですが、管理者によって削除されてしまいました。その記事に書かれた僕の略歴が、僕と家内が作っているウェブサイトから写したもので、われわれの著作権を侵害しているというのです。しかし僕の略歴はどう書いても同じ内容になるはずですし、もしわれわれの文章を写されたとしても迷惑ではありません。それが著作権侵害かと首をかしげてしまいました。
著作権に気を使う社会は、トラブルを防げるかもしれませんが、大きく見れば文化の発達にブレーキをかける危険もあると思います。文化は積み上げていくものです。著作物も、個人の力だけで創造できるものは知れています。先人の作品を利用したりまねたりした上に、独自のものを加えるのでなければ、優れた作品を創り出すのは難しいでしょう。
僕も、自分の伶品を無断で使われたら困りますが、発展的にまねされるのは、ちょっと悔しいけれどうれしいことでもあると思っています。